おじさんは心配性

「やっぱり、信乃かな……?」  少し考えてから小文吾は云った。 「いいえ」  弟姫(いろとひめ)は悪戯めいた笑みを浮かべた。 「もちろん犬塚様はわたくし達のなかでは一番人気でした。でも、浜路姉様が いらっしゃいますもの」  わたくし達―――とは小文吾等八犬士の主君、里見義成侯の八人の息女達の ことだ。先日、犬士達は各々この姫君達を花嫁として迎えた。那古城主となっ た小文吾の妻は、末っ子の弟姫だった。  八犬士は先の大戦の褒賞にそれぞれ城を賜った。那古は、小文吾の父の出身 地である。新しい城はまだ落成しておらず、夫婦は仮屋敷に暮らしていた。仮 とは云っても不自由なことは何もなく、広さも調度も使用人すら十分なほどだ った。 「じゃあ、毛野とか」  小文吾はまた義兄弟の名前を挙げた。  開け放した障子の外には、庭の紅梅が美しく咲き誇っている。その先には春 の光に輝く那古の浦が見えた。  弟姫は首を振る。 「違います。わたくし自分より美人の旦那様なんてイヤ。その点、小波姉様は 光の君や業平朝臣に夢中だから、きっとお似合いね」  小文吾は苦笑する。この弟姫、十六歳という年よりませて、なかなかしっか りしている。どこか妹の沼藺(ぬい)と似ているところもあった。沼藺が親兵 衛の父、山林房八に嫁いだのもちょうど十六歳の頃だった。 小文吾は若い妻を気遣い、公務の暇を見てはできるだけ一緒に過ごすように していた。 「ならば、強面なところで道節か現八か」 「……お二人とも、ちょっと怖い感じ」 「そんなことはないさ。どちらも強情に見えるが、自分に非があれば潔く認め る。まあ、道節は口から先に生まれたような男だし、逆に現八は言葉が足りな いところはあるけれど」  自分で強面と話を振っておきながら、何故か必死で義兄弟を庇う小文吾。弟 姫が笑っていることに気づいて、赤面した。 「そうご心配なさらなくても、竹野姉様も栞姉様も強い殿方がお好きだから大 丈夫。それでいて、わたくしのような生意気な女とは違って、おしとやかで大 人しい方たちなの」 「……な、生意気だなんて、俺は思わないよ。むしろ、元気があっていいくら いだ」  今度は姫が赤くなった。  そもそも、二人の問答の発端は「弟姫が誰と一番結婚したかったか」という もので、さっきから小文吾は義兄弟の名前を一人ずつ挙げているのであった。 「それでは、武でないなら文で大角は?」 「犬村様はもの静かな方なのでしょう? それに頭のいい方ですもの、わたく しではお話のお相手もできませんわ」 「毛野もそうだが、大角も自ら進んで知識をひけらかすようなことはしない。 館に乞われてすら渋々といった風なのだから。話し相手はともかく―――」  と、そこで小文吾は言葉を切る。やはり大角についても気がかりなことがあ った。 「雛衣殿のことがなあ。もちろん、鄙木姫に冷たくするなんてことはあり得な いが、あの男は少しまじめすぎるところがあるから。……女子(おなご)は、 そういうことを気にするものだろう?」  特に大角の元妻は、大角の為に壮絶な死を遂げている。その雛衣に対する遠 慮が、もしかしたら新しい妻に寂しい思いをさせてしまうのではないか、と小 文吾は懸念していた。 「ええ。でも、鄙木姉様に限ってはご安心なさって。鄙木姉様もとてもまじめ な方で、雛衣様ことを大変尊敬していらっしゃるの。それに、才女でいらっし ゃるからお話も合うと思うわ」 「ほお。館が名詮自性とおっしゃられていたのは名前だけではなくて、自ずと それぞれに一番合う相手と結ばれているのだなあ」  感心したように云う小文吾は、しかし自分のこととなると肝心なことには何 も気づいていない。義兄弟の名前ばかり挙げてくる夫に、弟姫がそっとため息 を吐いていることを、小文吾は知らなかった。 「無口がダメなら、荘介だな。あいつなら気が利くし、頭がいいから話も上手 い。偉ぶったところもないし、実に気持ちのいい男だよ」  とうとう、何やら見合いでも勧めているかのような調子になってきた。実際、 小文吾は犬士の中では荘介と一番気が合った。 「そうですわね。犬川様は穏やかでお優しそうだし、きっといい旦那様でしょ うね」 「そうだろう、そうだろう。……って、そうなのか?」  真顔で訊かれて、弟姫も今度はあからさまにため息を吐いた。 「いい方ですけど、あの方の一番は何を差置いても犬塚様ですから」 「義理堅い男だからなあ」  荘介は幼い頃に信乃の家の下男だったことからか、どこか信乃に対して一歩 引いているところがある。初めて信乃が下男・額蔵に心を許し、兄弟の義を結 んだ十五年前の出来事を話す時など、荘介は未だに涙ぐむのだ。 「もちろん城之戸姉様は、そのようなことは気にしていらっしゃいませんけど。 むしろ、お幸せそうで羨ましい限りですわ」 「そうだろう、そうだろう。……って、そうなのか?」  弟姫は大仰に肩をすくめた。一方、鈍感な夫はと云うと、複雑な表情をして いた。 「荘介でもないならば、まさか―――」  恐るおそる口を開いた。 「親兵衛……?」 「わたくし、年下は好みではありません!」  ついに新妻は頬を膨らませた。 「どうして悌順様は他の方のお名前ばかりおっしゃるの!?」 「どうしてって、親兵衛はそなたと一番年齢も近いし、容姿は幸いにして十人 並みの母方ではなく、男前の父親の方を受け継いでくれたようだし、文武の才 能は恐ろしいばかりだし、馬にすら愛情を注ぐほど優しい子だし、伏姫神も憑 いてらっしゃるし、ついでに代四郎じいさんももれなくついてくるし……」 「犬江様の話ではありません!」  若い娘らしい仕草で、ぷいっと顔を背ける。そして、横顔のまま続けた。 「わたくしは、最初から……悌順様がよかったのです」 「嘘だろう!?」 「嘘ではありません! だって今までの問答からすれば、わたくしの理想の殿 方は、悌順様しかあり得ないのはお判りでしょう?」 「……確かに、消去法でいけば―――痛っ!」  名だたる蓋世の勇士が、十六歳の娘につねられて悲鳴を上げた。 「そんな消極的な話ではないの! あなたは、わたくしの一番ですのに」 「し、しかし、俺など相撲くらいしか取柄はないし、もともと色恋沙汰はどうも 性に合わない。そなたが俺と居て楽しいかどうかも……正直、自信がない」  小文吾が膝の上で固く握り締めている拳に、弟姫は自分の手のひらを重ねた。 「悌順様はとてもお優しい方だわ。その証拠に、誰よりも他の兄弟の方々を心 配していらっしゃるじゃありませんか」 「いや、我々は皆そんなものだよ。八人全員が自分のことよりも、他の七人の ことを尊重している」  親兵衛は実の甥だし、現八は乳兄弟だったりなど各々の付き合いの長短はあ るにせよ、八人全員が揃ってからまだ二年ほどしか経っていない。もともとず っと一緒にいたわけでもなく、稲村へ出仕の折には顔を合わせる機会も多い。  しかし、主君の息女を娶り、それぞれが城主として大切な民を預けられた責 任は、想像以上に重い。もちろん非凡な兄弟達のこと、心配するような要因な どあるはずもない。現に最も年の若い親兵衛が、兄弟に先んじて館山の城主を 勤めている。  親兵衛に関しては、武勇といい博学といい、政(まつりごと)には何の不安 もない。むしろ自分よりよほど優れた城主であろう。だが――― 「親兵衛は、まだ十一歳なのだ」  小文吾は眉を寄せた。 「館は結婚して後、共寝をするもしないも自由などとおっしゃっていたが、た った十一歳にそんな選択ができるのかどうか……」 「静峯(しずお)姉様は犬江様と寝所を別にしていらっしゃるそうよ」 「……え、本当に?」  例え血縁でも、小文吾から親兵衛にはとても訊けない。女同士の意外な情報 網に小文吾は感心するとともに、やや空恐ろしくなった。 「ええ、犬江様が十七歳になるまではそうするのですって」  一方の弟姫は小文吾がどうして驚いているのかも判らないといった様子で、 淡々と述べた。  確かに、親兵衛は自分だけは結婚を延期して欲しいと訴えたが、義成は許さ なかった。結婚という儀式だけは皆と同じように行い、その後のことは自分の 知るところではない、と。だから親兵衛は己の信念に従って、十七歳までは世 間で云う婚約という形を取ったのだろう。  親兵衛の方はそれでいいかも知れない。けれども、妻の静峯姫は今年二十歳 である。 「それで、納得されているのか……その、静峯姫の方は……?」 「もちろん。静峯姉様ほど、旦那様を立てる方はいらっしゃいません。犬江様 がおっしゃることなら必ず従われる、そういう方です」 「しかし、親兵衛が十七となると、静峯姫は……」  さすがに失礼だと口を噤む。 「大姉様は、わたくし達から見ても、夢の中に住んでいらっしゃるような方。 時代が違ったら、きっと更級日記くらいは書かれたかも知れません」  あづま路の道のはてよりもなほ奥つかたに―――と上総を示す更級日記の冒 頭を諳んじて、弟姫は微笑んだ。 「どこがどうとは云えませんが、何だかやはり犬江様は静峯姉様に一番しっく り合う方だと思います」  小文吾も頷いた。 「縁結びの神も、伏姫神も間違われるはずがない」 「ですから、わたくしもあなたで良かったのです」  弟姫は、小さな頭を小文吾の肩に預けた。  柔らかな風に乗って、梅の香が流れてくる。遠くの穏やかな海を見ていると、 久しぶりに釣がしたくなった。  つくづくと平和を噛みしめていた小文吾に、弟姫が云った。 「ちなみに、子どもは二男二女欲しいの」 「……はい?」 「男の子のお嫁さんも女の子の貰い手も、お姉様方と相談してもう決まってい ますから」  どうやら釣を楽しんでいる場合ではないようだった。                                ■終■
最初は親兵衛の心配をする小文吾伯父さんを書くつもりだったのですが、何だか 人の心配をしている場合ではなくなってしまいました、小文吾伯父さん…。 この時は既に犬士の名前が違いますが、判りづらいのでそのままにしました。

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