七犬士大会議

「犬江殿がいつまでも戻られぬのは、細河政元殿の懸想のせいです」  京都から戻ったばかりの使者の報告に、七人の犬士のうち六人は呆気にとら れた顔をした。唯一、さもありなんと頷いたのは毛野のみ。 「大方、そんなことだろうと思っていました」  そう云って苦笑する毛野を、残る六人のうち五人は、やっぱりポカンとして 見つめる。今度は、道節だけが合点のいった表情で、わざとらしく頷いた。 「なるほど。経験者は語る……」  毛野は、美しい眸(ひとみ)を怒らせて、道節を睨んだ。  里見家の使いで京都に赴いた親兵衛が、管領細河政元に約二ヶ月近くも抑留 され帰国を許されないでいた。その原因を探らせたところ、最初は結城の大法 要で恨みを持った悪僧徳用のせいだったが、それは親兵衛が上手く対処してい る。それでもなお京都に留め置かれているのは、どうやら政元自身が親兵衛を 手放さぬらしい。その理由を調べて来たのが、冒頭の使者である。  七犬士たちは、与えられている宿舎の一室に集まっていた。四季折々の草花 が楽しめる庭に面した部屋で、今の季節は紅葉が色鮮やかだ。しかし、誰も景 色などに気を取られてはいない。  何しろ、彼らの大切な親兵衛―――全員が、この一番年若い犬士を弟のよう に可愛く思っている―――の一大事なのだ。 「……あの、懸想というのは、やはり―――?」  大角が、恐るおそる問いかけた。信乃と小文吾は、まだ何のことやら思い当 たらない様子だ。 「惚れられたってことだな」  道節の一言に、小文吾が身を乗り出した。 「まさか、親兵衛に限ってそんなことは……!」  食ってかかる小文吾を、慌てて隣の荘助が押さえた。ちなみに、驚いた信乃 の顔といったら百年の恋も冷める有様だったが、それを目撃したのは、幸いに も寡黙な現八だけだった。 「親兵衛がどうであっても、相手が勝手にすることだから、こればっかりは仕 方ないだろう」 「いえ、前々から私は懸念していたのです」  と、毛野が引き取った。 「親兵衛は戦わせれば強いですが、もともと仁の性質故か心優しく、それに加 えて、あの美貌。世間の良からぬ輩に目を付けられても不思議ではありません」 「……と、経験者は語る」 「道節、どうやら私と本気で手合わせしたいようですね?」 「やめておいた方がいいですよ」と真顔で道節に忠告したのは荘助で、他の面々 も同意した。 「それはともかく、万が一そういった場合、毛野殿であれば上手く切り抜けら れもしようが、親兵衛殿となるといささか不安もある」  現八が云えば、大角も頷いて、 「親兵衛くんは、山育ちのせいか、少し世間知らずのところがありますし」 「何と云っても、まだほんの子どもなのだ」  十七、八に見えると云っても、実際は十ばかり。親兵衛にもしものことがあ ったなら、今は亡き妹夫婦に申し訳が立たぬ、と小文吾伯父は頭を抱えた。 「政木氏から聞いた話ですが、例の両国河原の大乱闘の時も、素手吉が親兵衛 くんに手を出したのは、男色の相手にしようと企んだからだと白状したそうで す」  素手吉の兄の五十三太は土地の親分を気取るごろつきで、両国河原で親兵衛 たちに因縁をつけてきたのだった。もちろん、素手吉などの小物の手に負える ような親兵衛ではなく、その兄もろ共、軽々と川に投げ飛ばされたという件(く だり)は皆が知っていた。 「荘助、何故そんな恐ろしい話を、平然とした顔で出来るのだ?」 「そう云う信乃さんこそ、何て顔をしているんですか。世間ではよくある話じ ゃないですか」 「そ、そうなのかっ……!?」  信乃と小文吾は声を合わせた。 「確かに、黙って着飾らせておけば、どこぞの姫君と云っても通るくらいの美 少年。その道の者ならば、放っておくはずがない」 「まさか、道節。よもや親兵衛をそのような目で……!?」  食ってかかる小文吾を、隣の荘助は押さえると見せかけ――― 「信乃さんだって、子どもの頃は浜路さまに劣らぬくらいの美しい娘ぶりでし たよ!」  どさくさに紛れて口走った。普段は穏やかな荘助の意外な告白に、今度こそ 全員が唖然とした。 「まさか、荘助。よもや信乃をそのような目で……?」 「……仕方ないじゃないですか。その顔で娘の恰好などしていたのですから、 女の子と間違えるなという方が無理ですよ」 「で、惚れたのだな?」 「む、昔の話です……」  当の信乃は、もう卒倒しそうな様子。これほど身近な実例に、今まで気づか なかったのだから、信乃が鈍感なのか、荘助の忍耐を褒めるべきか。 「それは、後ほど二人でゆっくり話し合ってもらうとして、今は親兵衛のこと です」 「おっと、毛野の云う通り。それで、道節。結局、どうなのだ!?」  もう荘助の止めが入らない小文吾は、とうとう道節に掴みかかった。道節は 真剣にしばらく考え、小文吾の苛立ちを募らせた。 「いくら何でも、さすがに義兄弟にまでは手を出さない」  聞きようによっては問題発言で、毛野と大角などは首を傾げた。しかし、根 が単純な小文吾は、安心した様子で道節の襟首を放した。 「そもそも、政元殿というのは、その道の方なのか?」  現八は、畏まって控えていた使者に問いを向けた。 「いえ、そういう訳ではないようですが、愛宕の行法のために女人は近づけな いお方だと聞いております。しかし、犬江殿は大変な気に入られようで、数々 の名品を贈られたり、たびたび酒の席で熱心に口説かれていることは、邸の者 なら皆知っております」 「親兵衛の方はどうなのだ?」 「贈り物を受け取りはするもののいっさい身に付けず、酒席でも酔わず、ただ 帰国を請う言葉のみ口にしているそうです」  誰もが親兵衛を哀れに思った。相手は将軍家の管領、おそらく権力でもって いくらでも親兵衛を逆らえない立場に持っていくのは簡単だろう。一方、親兵 衛は奸計を巡らすにはまだ子どもだし、もともと素直で優しい性格なので断る こともできないでいるに違いない。  さすがの智将、毛野も思案顔で云った。 「大人しく口説いているうちはいいとして、もしも政元殿が強引に事に及んだ 場合は―――」 「こ、こ、事に及ぶってぇのは、親兵衛が手込めにされるってことか!?」  興奮する小文吾を宥めつつ、大角は毛野に反論した。 「いくら親兵衛くんでも、その時になれば力ずくでも身を守るでしょう?」 「しかし、力はともかく、彼の性格を逆手に取られ、脅しなどの策を使われな いとも限りません」 「ところで、親兵衛は房事の心得などあるのだろうか?」 「―――は?」  一瞬、全員が自分の耳を疑った。今の発言が、道節ならまだしも、何と信乃 の口からなされたものだったからだ。信乃が壊れたのは、荘助の告白に相当な 衝撃を受けたせいに違いない、と皆が考えた。 「信乃殿、少し休まれた方が……」  珍しく現八が気遣いを見せるほど、明らかに信乃はおかしかった。しかし、 おかしいのはどうやら信乃だけではない。 「……あの、房事の心得というのは、つまり男女の? それとも―――?」 「これ、大角。そこに食いつくな!」 「いやいや、これは興味深い問題提起。さすがは、信乃」  得たりとばかりに喋り出したのは、やはり誰であろう道節だった。 「何しろ親兵衛は、前代未聞の神女に育てられた神童。人里離れた深山で、誰 がそのようなことを教えようか」 「代四郎さんや音音さんが、人並みのことは教えているのではなのでしょう か?」 「どちらも枯れた爺と婆。伏姫さまも曳手も単節も夫なくして身ごもったとあ れば、さあ、誰が教えるのだ?」 「教わらずとも、人には自然と備わっているものではないのか?」  やたらと白熱している輪の外で、呆れたように傍観している者が一人。 知勇忠義の士と噂の高い犬士たちが壊れたのは、きっと疲れているせいに違 いない、と使者は考えた。この場では、自分は彼らの何をも聞かず、何をも見 なかったことにしよう、と。 「皆、静まりなさい!」  ようやく毛野が我に返って一喝した。 「今日はそのような下らない詮索をするために、集まったのではありません」  和漢にまれな豪傑と聞えの高い犬士たちが、この時ばかりは叱られた子ども のように項垂れた。自分は何も見ていない、と呪文のように唱え続ける使者。 毛野は犬士らを睥睨して、続けた。 「だいたいの現状は判りました。要は、親兵衛をいかにして帰国させるか、問 題はその一点のみ。小文吾、そうですね?」 「……おっしゃる通りです」  何故か遜(へりくだ)っている。 「私に一つの策があります。京に、政元殿が親兵衛の剛勇に頼らなければなら ないような事件を起こします。その後は、親兵衛自身が上手くやるでしょう」  毛野は、使者を呼び寄せて策を授けた。そして、独り呟く。 「まあ、多少の犠牲は出てしまうかも知れませんが、それは仕方のないこと」  その妖艶な微笑を見て、残りの犬士たちは皆、この策士には逆らわないよう にしようと心密かに誓った。  かくして、使者は曰くのある画軸を持って再び京都に向かった。洛中に絵か ら抜け出した大虎が出ると噂がひろまるのは、もう少し後のことである。  そして、帰国の許しを条件に、親兵衛が虎退治を引き受ける頃。紅葉がすっ かり散って霜が降りた庭では、犬士たちが戦の準備を始めることになる。けれ ども、それはまだ先の話。                                ■終■
勢いで書き始めたら収拾がつかなくなりました…。オチがなくて済みません……。 っていうか、いつもそんなものないですね。(ダメじゃん…)時間もバラバラで、 これは最後の方の話です。っていうか、最初からバラバラか。(ダメじゃん…)

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